マンガ『虐殺ハッピーエンド』を紹介します。
原作は宮月新さん、作画は向浦宏和さんです。
虐殺とハッピーエンドはつながらないと思うのですが、どんなマンガなのでしょうか。
電子書籍なら試し読みができますので、まずは試し読みをしてみて、続きが読みたくなったら続きを購入してみてはいかがでしょうか。
『虐殺ハッピーエンド』のあらすじ(ネタバレ有り)
主人公の真琴は高校生ながらバイトをかけ持ちして家計を支えています。
妹の詩織が病気で入院していてお金が必要なのですが、父親は働かず酒ばかり飲んでいるからです。
妹の病状は重く、移植手術でしか助かりません。
しかし、ドナーは見つかりません。
7月10日(月)、真琴が家に帰ると、父親が客を呼んで酒を飲んでいました。
しかも妹の入院費を使って寿司まで食べていました。
絶望した真琴は神社に行き、次の言葉を叫びます。
未来には絶望しか待っていないなら
僕と詩織に明日なんか来なければいい・・・!!
出典:宮月新『虐殺ハッピーエンド』
このセリフが作品のポイントとなっています。
その後、病院から妹のドナーが見つかり1ヶ月後に手術ができるという電話が入ります。
ここまでは現実にも起こりうる話です。
世界には同じような境遇の人がたくさんいるだろうと想像できます。
実際に神様の前で明日なんか来なければいいと願っている人もいるでしょう。
ここからは現実ではありえない話になっていきます。
次の日の朝、真琴は新聞配達のバイトに行きます。
職場の同僚は昨日と同じ話をしていますし、新聞の日付も昨日の日付(7月10日)になっています。
妹が入院している病院に行くと、ドナーが見つかったことを誰も知りません。
時間が巻き戻っているのです。
詩織の容体が悪化していることから、真琴だけでなく詩織も時間が進んでいることに気づきます。
午前0時になると世界は24時間前に戻るのですが、真琴と詩織だけは24時間前に戻らず時間が進んでいるのです。
せめて妹も24時間前に戻ってくれたら、病気が治ることはないですが、真琴が死ぬまで妹は生き続けるとができます。(周りの人からすれば真琴が1日で一気に歳を取るという不思議な現象が起こるのですが)
しかし、詩織は1ヶ月後に手術を受けることができずに、何回目かの7月10日に死んでしまうことになります。
「僕と詩織に明日なんか来なければいい」と言ったことが現実になってしまいました。
真琴は神社に行き神様に文句を言います。
そこにバイト先の同僚の脇田が現れ、賽銭ドロボーだと疑われます。
口止め料として脇田は妹の入院費を奪います。
カッとなった真琴は脇田を殺してしまいます。
人を殺してしまったのですが、午前0時になれば時間が巻き戻るのですから、何の意味もないことだと真琴は考えます。
しかし、次の日に脇田の死体が発見されます。
時間も7月11日に進んでいます。
午前0時になるまでに人を殺せば時間が進む設定だったのです。
ひと月後の妹の手術の日まで人を殺せば妹を助けることができるのです。
妹を助けるために真琴は何人も人を殺し続けます。
最初は殺されても仕方ないような悪い人間だけを殺すと誓ったのですが…
これからどうなっていくのでしょうか。
命の重さについて考えさせられる作品
『虐殺ハッピーエンド』は、人を殺せば時間が進むというありえない設定ですが、自分の大事な人を救うために人を殺してもいいのかという難しいことを考えさせられる作品です。
何の罪もない人を殺すのはいけないことだと考える人は多いと思います。
主人公の真琴も極悪人を選んで殺しています。
しかし、ある人から見たら極悪人なのですが、別の人から見ればとてもいい人だということもあります。
職場ではパワハラばっかりしているイヤな人でも、家では子ども思いの優しいお父さんということもあるでしょう。
家族には冷たいが、職場の人間には優しいという人もいるはずです。
そう考えると、この人は極悪人だから、善良な人よりも生きている価値がないとは言えなくなります。
『虐殺ハッピーエンド』でも、真琴は自分が殺した人間の親を苦しめています。
親にとっては息子は極悪人ではなく、大切な人間なのです。
私はどんな理由があっても人を殺してはいけないと思います。
人を殺さなければ大切な人が死んでしまうという状況になれば考えが変わるかもしれません。
今までそういう状況になったことがありませんし、これから先もならないような気がします。
自分とは関係ない話かもしれませんが、人の命の重さについて考えることは大事だと思います。